福島未来会議

フクシマ・アート展覧会がバンクーバーで開催されました。

福島未来会議2 だから、この時代に生まれた。

2015年5月5日~6月20日、バンクーバーにて「フクシマ・アート展覧会」が開催されました。

フクシマ原発事故から3年を機に2014年3月、福島県いわき市で「だからこの時代に生まれた~フクシマを描く」創作展覧会が開催されました。「福島未来会議5」アートワークショップに参加し、実際に原発被害のある地域を訪れたアーティスト達の手によって描かれた作品25点が展示され、外国からの訪問者を含め福島県内外から250名の来場者がありました。
そして2015年、このプロジェクトがカナダのバンクーバーで開催され、芸術家たちも現地に集い希望と和解を宣言しました。

フクシマ・アート展覧会の開催案内リーフレット(英和訳付) PDF【PDF】

参加アーティストの報告 亀岡亜希子さん

2013年、FVIカタリストの皆さんと9名のアーティストは、事故のあった福島第一原子力発電所の半径10キロ圏内である大熊町まで足を運び、それぞれが神様から与えられた想いを持って祈りながら作品を創作しました。
その作品展「だからこの時代に生まれた〜フクシマを描く〜」展が2014年3月いわき市文化センターで行なわれ、同作品が今年5月5日から6月25日までカナダ・バンクーバーでも展示されました。それに合わせ、5名のアーティストが6月9日から15日の1週間バンクーバーを訪れました。


事故から4年、日本の中でも福島の惨事を忘れかけている人々がいる中、バンクーバーで日本の痛みに寄り添い、共に祈り、神様の声を聞いていこうとする人々がいることに、深い感動を覚えました。この旅では、福島に目を向けることにとどまらず、期間中3日間行なわれたアートリトリートを通して、カナダの持つ問題や祈りの課題である闇の部分にも目を向けることを、私達は示されました。カナダのファーストネーションズ(原住民)のアーティスト・デブラさんのお話を聞き、その後19世紀後半に日本から移住した人達が暮らしていた日本人街のあったパウエルストリートと、バンクーバーでも最も貧困層が多く暮らすイーストタウンを、現地の方の案内で祈りながら歩きました。


第二次世界大戦中、国籍を持っているにもかかわらず強制収容させられた日系人たち。日本人街はカナダに没収されてしまい、戦後戻ることが出来なかったという歴史が日系カナダ人にはあります。私は恥ずかしながら、カナダに行くまでその歴史を知りませんでした。今回それを知ることが出来ただけでも、行くことが出来て感謝です。また、貧困層の人達に寄り添うためにあえてイーストサイドに引っ越ししてきた方や、アトリエを構えてその街の人達に声をかけ仲間として生活しながら創作活動をしているアーティストの方などを通して、隣人に寄り添うイエス様の姿を見ることができたことも感謝でした。


人々が目にも止めない小さき人々が追いやられているような場所は、バンクーバーにもあることを知ると同時に、改めて日本にも目を向けるきっかけにもなりました。今回カナダでの展示とアートリトリートを実現するために尽力をつくしてくださったカナダの皆様に心から感謝すると共に、この体験をアーティストとして何らかの形で表現できるよう祈り、作品を作ったアーティストの皆さんと話し合っていけたらと思っています。

参加アーティストの報告 溝口徳子さん

バンクーバーを訪れて -喪失と復興-

リージェントカレッジのルックアウトギァラリーで開かれたフクシマ復興美術展、そしてストラスコナ教会でのアートリトリート、バンクーバーでこの催しに参加させて頂けたことは、すべて神様によって導かれた恵みの出来事であった事を思う。

 

福島県いわき市での復興美術展は私にとって大きな意味があった。何が期待されているのか、自分に何ができるのか、何もわからないまま2013年11月、福島第一原発近くまで来ていた。私の印象に残ったのは、家々は損壊せずに残っているのに誰もいなくなった町の風景だった。音のない命を失ったような空気の塊は、どこか自分の現実と重なる象徴的な風景に見えた。自分の中に巣食っている“喪失”の風景だろうか。その思いはそこからそのままバンクーバーに引き継がれた。

 

ストラスコナ教会に集まった3日間はとても意義深かった。朝はデボーションをし、昼間は外へ出て周辺を歩き回り、夜は見たこと感じたことを分かち合う。ちょうど福島で原発近くを巡ったときのように。そして3日目に、そこから思い描かれたものを皆で発表した。かつては日本人街があったストラスコナ地域は今ではスラム街となっている。町の歴史と人の人生が国を越えて重なって見えてくる。
昔、そこにあったもの、人々が持っていたものが失われ、復興し発展しながらも、見えないところでまた何かが失われていく。このストラスコナ地域で、することもなく病んでいる人たちが日本の田舎に残っている土蔵の前にいたら・・・、カートを押す高齢者が、日本で野菜を売り歩いてくれたら・・と、郷愁の思いに駆られ、日本の農村とストラスコナで見た日本人街の名残、その二つの風景写真を並べてみた。
人が人らしく生きられる環境を取り戻すことと、自分の居場所で自分が他者の居場所になること、それが本当の意味での復興ではないか。リトリート主催者のスティーブさんが、日本とバンクーバーを繋いでくれてありがとう、こういう事をやってほしかったんです、と言って下さった。スティーブさんはそこでアートを通してその“復興”を実践している人達の一人だ。

 

そして私自身が、その復興プログラムの中心にいた。そこでの交わりの中で、覆い隠してきた自分自身が曝され、ずっと口をつぐんできたもう一人の自分に新しい癒しが与えられた。街の歴史から見ても、多くの人の涙が集まった都市バンクーバー。そこでこそ働く癒しの力があるのかもしれない。それは神様が呼んで下さったリトリートへの旅だったと思う。