世界のビジョナリー

夢を持って「小さな愛の種まき」を実践している、草の根活動家たちを紹介します。

VOL.001 IWATE JAPAN

瀬知之 Tomoyuki Se 大船渡と釜石が、人々が助け合う町として世界のモデルになるのをみたい。

東日本大震災の長期的な支援活動をするため、岩手県へ

沖縄で保育の勉強をしていた2009年、カタリストの陣内と初めて出会った瀬さん。その後聞き屋の同志として励まし合いながら、隣人を愛する生き方を目指してきた。山口県で一年間保育士として働いたのちの2011年10月、東日本大震災の被災地である岩手県釜石市、大船渡市で活動を始めることを決意し、遠野市に移り住んだ。現在は大船渡市に住み、地域に根付いた継続的な支援活動を行っている。

【interviewer:湯本 2012.1】

働き手が必要だと痛切に思った

- 活動を開始しようと思った経緯を教えてください。
住んでいる地域、日本に神の国をもたらす、ニーズを満たすような働きがしたいと思っていました。高校生の時、幼児虐待、引きこもりなど、子どもたちの心の問題に関心があったので保育士になりました。幼児虐待であれば、5、6歳になるまでに子どもが亡くなってしまう…。そのような現状をどうにかしたいと思っていました。 1年間保育士として働き、留学するために時間を空けていましたが、3月11日の東日本大震災以降、自分にはお金も知恵もない。でも時間だけがあると思い被災地に来ました。現地の子どもたちのことが気がかりだったので会いたかったというのもあります。3回被災地(南三陸・陸前高田)を訪問し、地域のニーズの大きさを見るとき、働き手が必要だと痛切に思い、この地に遣わされるならば、来たい。と思いました。聖書のマタイ28章に書かれている、「あなた方は行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」という御言葉が、その思いを後押ししました。

これからの写真を撮って、プレゼント

- 主にどのような活動をしていますか。
最もしたいのは個人的な関係づくりです。現在7か所の仮設住宅を訪問しています。活動内容や1日にお会いする方々は、時と場合で大きく異なりますが、被災した家の買い物を手伝ったり、足湯ボランティアを行ったり、多い日だと20人くらいの方とお会いします。戸別訪問では、一日に2軒くらい訪問しています。家族、友達みたいな関係を築いていきたいので、訪問先ではゆっくりと、話をしたりお茶を頂いたりして過ごしています。

- これまでにどんな 愛の種まきができましたか。
また、こんな実を結んだという経験があれば教えてください。

多くの方が写真を流され、悲しんでいます。僕は写真を撮ることが好きなので、無くなった写真を嘆くのではなく、これからの楽しい思い出の写真を撮っていきたいと思っています。仮設住宅で写真を撮り、それを現像して直接持っていくと、とても喜んでくださるんです。今までに100枚以上は撮って届けました。写真を届けることで、その方と顔と顔を合わせてもう一度会いに行けるんです。写真を撮り、それをプレゼントするためだけに来るという人は少ないので、とても喜ばれます。ここに住んでいるからこそできることだと思っています。
あるおばあちゃんは毎朝、「ともくんおはよう」と僕の写真に話しかけてくれているそうです。(笑)

※愛の種まき…FVIでは愛の行動を周りの人に実践することを「愛の種まき」と呼んでいます。詳しくは「愛の行動3ステップ」をご覧ください。

人々が助け合う街として、世界に知られるようになってほしい

- どんな夢を持ち、将来にどんなビジョンを描いていますか。
大船渡と釜石に大きな夢を持っていて、ここが人々が助け合う街になり、世界、日本の「モデル都市」になるのが夢です。人が助け合う姿、お互いを励まし合ったり、いたわり合ったりする姿を通して、よそからここに人が来たら「人を愛することって何かが分かる。」と言ってくれるような街になってほしいと願います。被災した皆さんの痛みを無駄にしたくない。
子どもたちと遊ぶことも多いのですが、サッカーする時なども、チームワークを教えます。助け合うことや、いいプレーをほめたりして、「互いに愛し合う」とういう価値観を広めたいと思っています。大船渡と釜石には優しい方が沢山いるので、それは可能だと思っています。


仮設住宅で開催するイベントの打合せを行う瀬君

- 困難なことはありますか。
時々、「自分って何やってるんだろう?」と思ってしまって、アイデンティティの面での葛藤があります。仮設住宅を訪問して、話を聞くって、傍から見ると遊んでるようにも見えるかもしれない。でも心のケアは注目されていて、地元の新聞でも取り上げられていました。市役所の方も、ただ訪問し、お茶を飲んでお話しするということを始めています。カウンセラーや臨床心理士でない限り、お宅を訪問して時間を過ごすしか心のケアという方法はないと思うので続けています。葛藤あるからと言ってやめてしまえば、他に誰もやる人がいなくなってしまうという思いもあります。
あとは移動が大変なことですね。特に冬場に雪が降った時の山道は、運転するとき恐いです。

- 休みの日は何をして過ごしていますか。
休みの日は、特に予定を立てずに過ごします。気分に身をまかせて「今やりたい!」と思うことをします。基本的にまず遅く起きます。そしてボーッとしながらアニメや政治関係のニュースを見たり、ブログを書いたり、食べたいものをお昼に作ったりします。 友達に勧めてもらった本を読むこともします。あと、DVDで映画を見たり、買い物にいきます。長く活動をし続けるためには、いかによく休むかが大事だと思っているので、真剣にのんびり過ごします。情熱をもって、ダラダラしています。

- 子どもに関する問題については、今はどう思っていますか。
今でも保育士をやりたいと思っているんです。東北で2,3年以上は支援活動をしていくと思いますが、段階を踏んで少しずつ保育にも関わっていきたいと考えています。今も仮設住宅で、子育て相談のようなことをさせていただいていますが、子育ては孤立化がとても怖いので、お母さん方が孤立しないよう、ストレスをため込みすぎないように、声をかけたりしてケアするよう心掛けています。

支え合い、助け合い、家族として接することの大切さ

- こちらに来てから一番学んだ大切なことは。
人間にとって大切なことは、支え合い、助け合うこと。人の幸せというのは、モノとか力とかではなく、支え合うことだと、何もなくなった被災地に来て思いました。
神様は足りない自分をも用いてくださいます。毎日「大丈夫かな」と不安だけど、活動を終えて帰るときには充実感があって、喜んで帰っている自分がいます。お話したり、一緒にトランプをしたり、先日は川柳も読んだりしました。「支援者です。」という形よりも、「家族」として接することが大切なのではないかと思っています。

- このページをご覧いただいてる方に、自由に一言お願いします。
ニュースレター「神のおかげっ子新聞」を毎月書いています。現地では、1か月ごとに状況や活動内容が変わります。自分のしている活動を報告する義務があると思うので、頑張って書いていこうと思っています。4コマ漫画とか、ふざけているように見えるかもしれませんが、内容はかなり真剣です。頑張って書いていこうと思っていますので、よろしくお願いします。よんでね!
- ありがとうございました!


2012年5月に仮設住宅で開催した台湾パーティ。


共に活動する仲間と一軒家をシェアしています。

インタビュアーが現地の活動家を訪問し、一緒に活動することで見て、聞いて、体験して、感じたことなどを書きつづります。

インタビューをさせてもらったのは瀬君が大船渡にきて3か月ほどたったころ。例年にない寒さの今年は岩手の被災地にも雪が降りしきっていました。 若干21歳にして被災地に移り住むことを決意し、活動を続けている彼の話を陣内さんから聞いていて、会うのがとても楽しみだったことを覚えています。突然のインタビューだったにも関わらず、言葉に詰まることもなく、被災地で活動することへの思いをしっかりと答えてくださいました。 久しぶりに、聞き屋の同志である陣内さんと会い、気の知れた仲間同士、冗談を言い合いながらはしゃぐ姿もとても印象的でした。

2度目の大船渡訪問の際には、瀬君がチームメイトと暮らす一軒家に滞在させてさせてもらいました。彼らが活動の拠点とするその家には、朝と夕方、子どもたちの楽しげな声が響き渡ります。 今年4月に遠野市から大船渡へ来て1か月ほど。新たなメンバーが2人加わり計5人で活動していますが、引っ越してすぐに、家に近所の子どもたちが遊びに集まるようになったといいます。この日の夕方も、いつもくる子どもたちの一人が、彼らの家に遊びに来ていました。
バスケットボールクラブに所属する近所の小学生に誘われて、放課後の学校へ訪れた時、子どもたちは大喜びで彼らを迎えました。学校の先生や保護者の方も練習を見学することを快諾してくださり、むしろ一緒に試合をしないかと提案してくださいました。スポーツを通して、現地のみなさんとの楽しい交わりの時間を持つことが出来ました。
「ともくん!」と大喜びで彼の名前を呼び、後をついて回る子どもたち。子どもたちを大切に思い、心配し、寄り添いたいと願う、彼の優しい人柄が垣間見れた瞬間でした。

「共に暮らす」ことによって、現地の方にも安心感が生まれます。何度も訪問することで顔を覚えてもらい、居住地をあかすことで、自分たちがどのような者たちなのかを知ってもらうことができるからです。また、仮設住宅を訪問すると多くの方が「また来てくださいね」と声をかけて下さいます。人との関わりを大切にしたいと願う地域のみなさんと同じ目線で生活し、家族の様な関係が築けるように何度でも訪問する。小さなことと思えることや誰もしないようなことに目を向けて大切にし、自分にできることを精一杯続ける。 そうすることで現地の方々の小さな変化や必要に気付くこともできる。彼の働きは「支援」ではなく、まさに、現地の人に寄り添って「共に生きる」ことでした。


聞き屋の同志、陣内さんと


大船渡の家には子どもたちが遊びに来ていました。


近所の小学校のバスケットボールクラブで一緒に練習。