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陣内俊 夢

カタリスト陣内俊の夢を紹介します。

日本が与える国、貢献する国として知られるようになるのが観たい。

私は1977年に愛知県に生まれました。私の父は企業の技術者として働いており、私の家族は転勤が多く私は幼少時代から岡山、愛知、東京、シカゴなどの場所に暮らしてきました。
獣医師になりたいという夢をかなえるために、私は北海道帯広市の大学に進学しました。大学時代に私はキリスト教の信仰を持つようになり、海外で布教活動や開発活動に関わる「宣教師」という働きに興味を持つようになりました。自分も間接的に過去の宣教師の恩恵に与ったことと、聖書の言葉「全世界に出て行って、、、」という言葉に従いたいと思ったのがその理由です。また、若かった私にとって海外の見知らぬ地に行き人々と関わることは魅力的な生き方のようにも思えました。

海外に出て行って宣教がしたい。

悩んだ末に、私は大学を卒業し私は獣医師になって日本の社会で働くことを選びました。 「宣教師の仕事は宣教することだ。でも宣教の相手は、人間だ。そして人間の殆どは、社会で働いている。 だとしたら、その人々の気持ちが分からなかったらどのように宣教したら良いのだろう?そして自分が働いたことが無かったら、どのように働いている人の気持ちが分かるのだろう?」このような「三段論法」を逆にたどると、 おのずと「私は人生のどこかの時点で宣教師になるかもしれないが、その前に社会で働く経験をしている必要がある。」という結論に達しました。

宣教とは何なのか?


獣医師時代に始めた聞き屋ボランティア

24歳から30歳まで、私は愛知県で公衆衛生の仕事をする獣医師として働きました。その6年間の経験は、今の私の礎を築いたと言って良いほど大きなものでした。仕事は心から楽しく、「仕事とは何か?」という仕事観や職業倫理観など多くを体験的に学ぶことの出来た得難い期間でした。 また勤務する傍ら、2004年に私は豊橋駅で「聞き屋」というボランティア活動を始めました。それは私自身にとって、「そもそも宣教とは何なのか?」ということを再定義させられる経験となりました。宣教は、教えを広めるだけではなく、「愛する」ことなんだ、と知り、教えられました。その体験を経て「これを宣教と呼ぶなら、私は本当に宣教師になりたい。そして日本だけでなく海外の人々にも仕える生き方がしたい」と強く思うようになりました。

紆余曲折を経て、18歳の時に心に蒔かれた「種」は、より力強い願いとなって迫ってきました。 「10年経って想いが消えないということは、もしかしたら本当に何かあるかもしれない。」と考え、具体的に人生の方向転換をしようとしはじめたのもこのころでした。

持っていた殆ど全てを諦めて、宣教師へ。

比較的安定した給料、安定した生活、保健や年金などの福利厚生、気に入っている住みやすい街、住み慣れた部屋や車や数々の持ち物、行き慣れた教会、 何よりも、大好きな仕事を諦めることに葛藤もありました。人から「それは社会的な自殺行為だ」というようなことを言われもしました。給料はありません。 備えてくださる神様を信頼してサポートを起こし、生活することは恐ろしくもありました。それでも、もしそれを選ばなかったら、私は人生を主体的に生きているとは言えないと思いました。安定した「グッドライフ」を生きることは、リスクを冒さず、人生と言う宝を土の中に埋めたことになる、ということを、他の誰に言われなくても、自分が一番よく知っていました。


インド

「命を使う」と書いて使命と読みます。私を造られた神がおられるなら、その命を使って何か意味あることのために貢献するように、と意図しているに違いないと私は考えます。その「何か意味あること」が自分なりに言語化出来たのは、30歳のときでした。それは、「イエスのように生きる人を観たければ日本に行け」と言われる日本に、自分がそれを観なかったとしてもすこしでも貢献する、ということでした。

2008年4月、部屋も、給料も、沢山持っていた洋服や物も、車も、もしかしたら社会的信用のようなものすら後にして、スーツケースひとつを持って私はインドに行きました。「後悔はない」などという格好の良い旅立ちではありませんでした。 ある種のふっきれた身軽さと、「もしそれを選ばなかったら」歩んでいただろう、後ろに残してきた人生への未練と後悔が半分半分でした。


エチオピア

人と社会のトータルな変革

それ以来現在に至るまで、全世界に「イエスの教えによる人と社会のトータルな変革」をもたらすことを願う同志たちと活動を続けています。30歳のときの私の夢は今の私からすると幼く未熟ですし、活動を続ければ続けるほど、「何もできない自分」を知ることになります。それでも隣人を自分自身のように愛せよ、という「イエスの教え」を語るのではなく、生きる人々が日本と世界に増えていくことが私の情熱であることは変りません。

人と社会のトータルな変革

「声なき者の友」の輪【FVI】は、そのような変革のための手段であって団体の成長自体が目的になるような働きではありません。私たちが触媒として働いた後、数多くの「イエスのように生きる人々」が残り、私たちの働きがもはや必要でなくなる日が来ることが、FVIの願いです。 もしFVIが明日なくなっても、私は今と同じことをすると思います。

「命を使って」生きている今の人生を与えてくれた神と両親、そして支えてくれている多くの人々に心から感謝しています。 最後まで読んでくださりありがとうございました。


2012年3月に開催された福島未来会議2にて